そこから

東京から 250km離れた町に閉じ込められた猫が、お腹を空かせて共食いを始めた。
その町はあと何十年も人が住めない環境かもしれないのに、そこから離れられないひとたちがいる。
そのもう少し先の町は津波に飲み込まれて、まだ全体の被害がみえていない。
ヘドロや瓦礫の下で 時が止まってしまった身体が眠っている。
助かったひとたちには餓死の危機が迫ってて 助けている自衛隊員の心労はピークにきているらしい。
東京では 水道水から放射性物質が検出されたとか 死の灰が降ったとか
国が安全基準を変えて、一番守るべき子どもを見放した。
因果関係はわからないけれど どうやら最近鼻血を出す子どもや若者が増えたらしい。




あれから 1ヶ月とちょっと


みんな「日常に戻ることが、わたしたちができる支援だ」と言う。
たしかにわたしたちが日常を取り戻し、経済を回すことはとても大事な支援だと思う。
でも わたしにはどうしても 戻る日常が見当たらない。
テレビやネットで繰り返し流れる津波の映像
ずっと怖かった原発が ほんとうに最悪の事態になってしまったこと
いつもわたしを励ましてくれていた友達たちが 元気をなくしてしまったこと
仕事もどんどんなくなってるし、目を背けたくなることばかりだ。
家もお布団も電気もあるのに 
あれからどこにも帰れてない。
怖くて 不安で 悲しくて 悔しくて
もう戻る日常なんかないんだと気付いて途方に暮れた。
戻っちゃいけない。忘れちゃいけない。
後戻りできないという現実を受け入れるのは辛いけど、
恐怖を忘れて日常を取り戻したいという、大多数のまどろむ日本人の中で目を覚ましていることは、もっと辛い。
でも、家も家族もなにもかも流されてしまったひと達、もう故郷に帰れなくなったひと達に寄り添うということは、
具体的な力が及ばなくても、とにかく「目を覚ましている」ということなんじゃないかと思う。
目を覚ます、目を背けない。何もできないなら、なにもできない自分をしっかり見る。
ちっぽけな自分、今まで安穏と調子に乗っていた恥ずかしい自分から、目を背けない所から「始める」
日常に戻るのではなくて、新しい日常を作り始めなきゃいけないんだと思う。


そんなこんなでね
怖いと思ったものに片っ端から飛び込んでいって今に至るわたしは 被災地に行くことにした。
復興支援ボランティアは初めてで、とても大変な現実が待っていると思うけど、
日常の皮を被った非日常の東京でうずくまっているより、非日常に飛び込んで具体的に動いた方が気持ちは楽だ。


がんばってきます。
がんばるという言葉は避けてきたけど、今回ばっかりは、精一杯がんばってくる。



そこから始めようと思う。
ヘドロをかきわけて、底にひかりをあててみる。
パンドラの箱には、底に希望が残ってたってゆうし。