一年前のわたしへ

一年前のわたしへ

と書き始めたはいいものの、何から話せばいいか
とにかく、あの大きな地震津波で世界がすっかり変わってしまいました。
(世界というのはもちろん、一人ひとりの中それぞれにあって、たくさんの世界の中の、わたしの世界のことですが)
震災の影響で仕事もしばらくなくなり、あなたは毎日不安なのに部屋の中に居ることしかできなくて、日常を取り戻していく東京で、独り焦って、悲しみのやり場もなく、眠れない日々を過ごしていますね。
でも石巻に行って、見えない恐怖は目に見えるもの、手で少しずつかき出せるものに変わっていき、目の前の小さなことを、ひとつずつ、動かしていくしかないことを知るでしょう。
そして東京に帰ったあなたは、今まで見ないようにしていた目の前の場所へ、一歩踏み出します。
それは自分が一番出来ること、一番簡単だけど、一番難しくて、一番楽しいこと。
あなたはまだ、傷が痛くて、わたしが楽しんでいることを、不謹慎に思うかもしれません。
たくさんの尊い命が亡くなりました。たくさんの愛されたもの達が粉々に砕かれました。福島第一原発は今も危険な状況です。
だけど、わたしは生きています。
わたしは精一杯、生きようと思います。海水浴はできなくなったし、あたたかい雨に打たれても肌を刺されるような思いで、口に入れるものにも気を配らないといけません。とにかく以前よりも、生きることや、この身体で子供を産み育てていくことへの意識が強くなりました。
生きるというのは、被災地の支援をすることや、抗議活動やデモをすることだけではありません。それは子供を育てていく世代の人間として、未来のために忘れてはいけないことですが、まずは、目の前の家族や、恋人や、友だちを、目一杯大切にすること、愛を伝えること、わたしが笑顔でいることが、わたしが一番大事にしなければいけない生き方なんだと思います。

2012年3月11日
今日はこの一年で知り合った人たちに会いにゆきます。
ぐじぐじしていたわたしを地震がゆさぶってくれたおかげで、わたしは一歩を踏み出すことができたみたいです。
だからね、今、そちらは大変だろうけど、大丈夫ですよ。
あと、あやちゃんが今年結婚するので(しかも婿養子!)そのへんのプレッシャーも大丈夫です。
大丈夫。むしろ未来を楽しみにしてください。






石巻の方々が、忘れられることへの不安を語るまなざしを、忘れたことはありません。
わたしになにができるのか いまも考えてみてます。