花と骨とケーキと、


このポスターぱっと見 お菓子かご馳走に囲まれた頭蓋骨に見えたんだ。
本当は全部骨なんだけど。
でもお菓子やご馳走と、骨って、全然違うけど、何がどう違うのか、考えだしたらわからなくなるね。
展示も、なんというか、そんな感じ。


「命の認識」、という展示に行く。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2009inochi.html


東京大学総合研究博物館
東大 さすがに趣のある、いかにも大学!って感じの校舎がかっこよかったなあ!
同時開催中の「キュラトリアル・グラフィティ―学術標本の表現」という展示を通って、「命の認識」に入るのだけど
この「キュラトリアル〜」展も骨、骨、骨。
縄文人弥生人の人骨がずらあーっっと並べられていて、
どうやらわたし人間の脛骨が好きみたい!発見!


目的の「命の認識」展は、入り口の小象のホルマリン漬から始り、
キャプションも説明も何もないまま、ひたすら動物の骨達と対峙する。
低い大きな台の上に並べられた無数の動物の骨。
大きさや角、牙の生え方で、何の動物か考えてみる。
だけどそこにある骨が動いていた時どんな生き物だったか、ってことは、そんなに重要じゃないんだよね。
骨がとても滑らかで、美しくて、造形がかっこよくってさ。
でもそんなかっこいいものは、その命が発生したときから、何の意思の力もなく、勝手に造られ、組み立てられていったわけで。
遺伝子のプログラムで、生まれ落ちる環境に適応した形に成って、
子孫を残すために、骨と肉と水で地球に生きる。
ここにある骨は、また新たな骨を造るための骨なんだ、というふうに考えたところで、あたまがショート。
宇宙にまで考えが行っちゃうと宗教とか哲学になっちゃうから考えるのやめた!
素直に美しさかっこよさを楽しむことにした。


一緒に行った子が、
「骨しゃぶりたい!」と言っていて、うんうん、そうでなくちゃなあと思った。


帰りに近江屋洋菓子店でケーキとボルシチ
おーいしい!



結論:最期に綺麗な骨を残せるように、適度な運動とカルシウムを美味しく摂ろうっと!

ぴぎゃー!
エイリアンチューリップ!